溜め息は「休め」のサイン
健康な状態でも、時に大きな溜め息をつきたくなることがあります。
うつ病ではなかった頃のあなたなら、溜め息が出たら「ちょっと休もうかな」「疲れたな」と認めることができていたのではないでしょうか?
ところがうつ病になると何故か、多少溜め息が出ようともお構いなしに思考・行動しようとするようになりますね。
「疲れたのかな」「休もうかな」といった考えが起こったとしても、それは「甘え」だと自ら否定してしまう傾向も見られるかも知れません。
同じ『あなた』という人間がつく同じ溜め息なのに、どうしてこうも反応が違ってくるのでしょうか。
うつ病になって以来、何故これくらいのことができないのか、休み過ぎじゃないか、薬に頼りすぎるのも良くないと散々周囲から言われてきたあなた。
でも、そのことで誰よりも悩み答えを見つけられずにいるのも、まさにあなた自身ですね。
自分でも、以前より思考・行動がひどく鈍っていることを自覚しているのに、溜め息が出たからといって休んだり疲れた自分を認めたりしたら、周囲の目がもっと気になってしまう。
何より自分自身が「できなくなった自分」に戸惑い違和感を抱いているのですから、余計「休もう」などといった考えを認めるわけにはいきません。
こういった周囲の評価や自らを受け入れきれない想いが、疲れている自分を癒せない状況に追い込んでいるように思えます。
大きな溜め息が出たら、健康体だろうがうつ病だろうが、それが「疲れている」というサインであることには変わりありません。
うつ病状態では、健康体の時より疲れを溜める器が小さくなっていますから、「疲れた」と思う頻度も溜め息の頻度も高くなっていることでしょう。
でもそれが自然なのです。
溜め息が出たら「休め」のサイン。
健康体でもうつ病でも等しく疲れた状態になっているということを、受け入れられるようになるのが望ましいですね。