周囲からの「薬におぼれるな」発言をどう受け止めるか
時々耳に入ることであり、私自身も未だに言われることがあります。
それは「薬におぼれるな」という言葉。
少し冷静に、この言葉について考えてみたいと思います。
まずは実際に薬を飲んでいる私達側の目線です。
薬を飲んでいるのは、うつ病の症状を緩和するためですね。
医師の観察と判断により、その症状に応じて薬が処方され、私達は服薬することによって辛い症状から少し逃れることができます。
もちろん、多剤処方などの問題はまだまだ残っていますが、うつ病者が薬を飲む理由は基本的にここにあります。
また、病気の原因は完全解明されていないことから、対症療法的に薬を飲まざるを得ない、という現状もあります。
症状が軽快してからも、いきなり断薬できるわけではなく、様子を見ながら徐々に減薬していくのが定石です。
では、薬を飲み続けるうつ病者を見る第三者側の目線に立ってみます。
骨折などとは違い、目で見て確認できないのがうつ病。
すると周囲には「比較的元気そうなのに、何故まだ薬を飲むのか」と映ることがあります。
症状が重いにも関わらず「薬に頼るな」と言われたり、症状が軽快してきたのだから「もう薬に頼るな」と言われたりします。
どちらにしても、服薬していること自体、ポジティブなものとして捉えられていない印象です。
周囲がこのように言うのにももちろん理由があり、「体を動かしたりした方がずっと健康的なのに」「薬は必ずしも体に良いものではない」「服薬を続けることで自ら病人であることを選択しているのではないか」といったような感情があるようです。
以上の比較は、「服薬するうつ病者とそれを良しとしない周囲の人」の視点の違いを非常にザックリと分けたものですので、全てのケースにおいて当てはまるわけではありません。
ただ、両者の立ち位置や言葉の背景は、すれ違っているようにも見えますね。
さて、うつ病者は比較的長期に渡って服薬していくことが多いのですが、症状が軽快してきたらどこかで薬を卒業することを考えていく必要があります。
ただし卒業するにも段階があり、長年取り込んできた薬成分を自然な形で排出すること、長年染みついた服薬習慣そのものからも脱すること、ここに時間をかける必要性はあると私は考えています。
大抵の場合、「薬におぼれるな」と言うのは、うつによる服薬経験を持たない人物であったりしますが、実際に症状に苦しみ薬で何とか耐え凌いでいるのは私達の方。
つまり、自分が何故薬を飲んでいるのか、長期間服薬しなければいけないのは何故か、薬から卒業するにはどういう段階を踏むものなのかを、自らしっかりと認識しておく必要があるだろうということです。
うつによる服薬は、ともすれば感情的な言い合いに発展しかねないテーマでもありますが、当事者である私達自身が「服薬の理由とその先」についてある程度明確な感覚を持っていれば、周囲の発言に左右されることも少なくなるのかも知れません。