自分のキャパシティを知る
うつ症状に陥っている時、実は次のような段階を経験することになります。
1.エネルギー枯渇段階
(何も考えられない)
2.気力回復段階
(考える余裕がやや生まれたために色のない未来が見えてしまう)
「1.エネルギー枯渇段階」は、身体も動かず頭も心も活動停止、いわば臥せっているようなイメージになります。
一方、「うつは少し動けるようになってからが危険だ」と言われるのが、後者の「2.気力回復段階」だと言えるでしょう。
将来の悲観、自殺行為、元通りになりたい願望、などがどんどん溢れ出します。
気持ちの方向性としてはネガティブ極まりない、ということは確かなのですが、言い換えるとこの状態は『ほぼ活動停止状態だった頃に比べると考える余裕が生まれた』現象でもあります。
さて、取り上げてみたいのが「元通りになりたい願望」という、うつ経験者なら誰もが感じたことがあるであろう想いです。
これを、私は「2.気力回復段階」に分類したいと思います。
うつで完全に臥せっていた頃に比べて、少しばかり日常生活や仕事に手を付けられるようになってくると、とある願望が湧いてきます。
「以前のように元気に暮らしたい、以前のようにバリバリ働きたい」。
そういう想いの背景には、義務感や現実的な経済問題などが存在し、だからこそ「療養という言葉の名を借りてダラダラしている場合ではない」、と考え出すケースがあるのです。
家事や仕事に着手して、あれこれ頑張り始めるその心の中では「何とか以前のように・・・」という強い想いが、やや前のめり的にむくむくと湧くのですね。
「以前と全く同じように活動できる自分」を実感することで、自分の存在価値を確かめるような感覚です。
さて、ここがまさに、立ち止まるべきところだと私は考えています。
うつの前後では明らかに自分の処理能力が落ちている、ということは、おそらく本人自身はきちんと自覚していることでしょう。
私の例を挙げてみます。
うつになる前であれば、いざ仕事に取り組んだ時、多くの同僚・上司と交わりながら複雑なタスクをこなすことができていました。
しかし、うつによる休職を経て焦って復職した時は、職場でいろいろな人と関わること自体が激しくエネルギーを消耗し、一日を消化するだけでグッタリきたものです。
事務処理も明らかに効率が落ちていました。
書類に目を通した時の理解スピードが落ちているから、処理も当然遅くなります。
ここで「やはり自分はダメだな・・・使えない人間になってしまった・・・」と、自分を責めることに繋がってしまいました。
うつを始めとするメンタル系の疾患では、心も頭も、回転力が以前より激しく落ちている実感があります。
つまり「キャパシティ(自分ができることの範囲)が小さく」なったとも言い換えられます。
例えば、骨折した人が松葉づえを使うのは、歩く上でキャパシティが小さくなるからですが、その事実を無視して、まだ未完治の足でずんずん歩こうとしても、うまく歩けないか悪化させてしまうことになりかねません。
しかし、うつの人はそれをやってしまうのです。
外見的にはなんら異常はなく、内科的に悪いところがあるわけでもないからでしょう。
でもそれは、もともと限界のあるところでオーバーヒートを繰り返すようなものです。
そんな時の考え方としては、感情をあまり高ぶらせず「事実」に注目してみることです。
・自分が以前はできたことはなんだろう。
・今できなくなってることはなんだろう。
・どこが制限されているんだろう。
このように、今の自分を苦しめている要因を直視してみます。
ただし感情的になると、できない自分を責める方向に動いてしまいやすいので、あくまでも事実だけに目を向けます。
自分の中の「効率が悪い部分」とも付き合ってく前提で、目を向けるのです。
そうして目指したいのは、「以前と全く同じ自分」ではなく、現在の自分をスタート地点とした「その時の自分にできる努力」、それがとても健全でしょう。
人間は長く生きていれば、その時々で、できることできないこと・時期尚早なこと・タイミングの熟したことなどが出てきます。
例えば5年前の自分と今の自分が全く同条件で生きているかと言えば、そういうわけでもありません。
やはり年月や環境に順応して生きているからです。
だからこそ、「今」の自分に存在する「事実」を受け入れて、その上でどうするかを考える・・・そういう建設的な付き合い方をしたいものですね。